みずいろの世界(紺野藍の文章)

紺野藍の文章です。主に短歌

現代短歌2024年5月号 Anthology of 40 Tanka Poets

現代短歌社のアンソロジー企画に参加し、40人のうちの1人として選ばれて、わたしの作品が載ると決まってから、ずっと何かを言わなければいけないって思っていた。

何を言って何をすれば責任を果たしていることになるんだろう。そんなことをいつもいろんな場面で思うけれど、今回はこの企画に対する紺野藍の考え(言い訳ではなく)を書くことで、責任を果たしたいという意志を表現できれば、と思う。

 

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(夜の公園が好きになったきっかけを明確に覚えている)

 

わたしは前回のアンソロジー企画に呼ばれなかった。そのことに対して、ほんとうはずっと悔しい気持ちがあった。

 

歌人」として生きていくには、常に何かから選ばれなければいけないと(強迫観念のように)思っているし、その考えは今も変わっていない。わたしから見える歌壇は、そういう世界に見えている。

そして「歌人」のいる歌壇の世界にわたしは参加できないのかもしれない、と強く思ったのが2023年だった。

(もちろん歌壇以外の世界がちゃんとあるのを知っている。)

 

2023年度の新人賞はだめだった。同世代から何冊もすてきな歌集が出て、わたしは歌集を出したいから、そのぜんぶが悔しくて羨ましかった。わたし以外がすごく光って見えた。そしてわたしには歌集は出せないのかなとも思った。

 

2023年の最後の月、12月になって、今回の企画に対するステートメントが発表された。

それを見て、ほんとうは少しだけ躊躇した。

わたしは心から、ちゃんと、短歌のことを仕事にしたいのか。そのことに対する責任を背負い続けられるのか。すごく考えた。

考えた末に、12月24日、〆切日のギリギリになって、公募枠に応募して、今回の機会をいただくことになった。

 

どんな見られ方をするのだろうと思う。わたしの作品も、わたしの小文も、公募でこの企画に参加したという背景も、読者からどう見られるんだろう。うれしくて、でも怖いことでもある。

でも、もうどんな機会も逃したくない。それだけわたしは紺野藍に対して焦っているし、なにがなんでも、という気持ちがある。

わたしはわたしの短歌を、言葉をぜんぶ背負って、ここではないところに行きたいから。

 

すごくすごく、心をすり減らして選んだ10首連作です。小文も含めて読んでもらえるとうれしいです。

わたしの覚悟を見てください。

殴るみたいな風 見逃してあげる いつも本当のことを成し遂げる

 

現代短歌 2024年5月号 | 現代短歌社オンラインショップ

 

青松輝「4」にいちばん似合うペンが決定しました

青松さんの『4』、装丁も内容もすごくかっこよくて、読むときに自然と息をひそめてしまう歌集だった。

1冊通して読んでいるときもすごくいいんだけど、普段の生活のなかで歌集の中の1首が頭にあらわれて、結晶みたくカチッとはまる瞬間がたびたびある。

何回も読み返していてそのたびにうれしくなってしまう。

 

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ところで、歌集を読んで歌や本の雰囲気にできるだけ浸っていたい…忘れたくない…と思うときとか、短歌を作るときにこの雰囲気に近いものがほしいな…と思うときとかに、モード?チャンネル?を合わせるためによくやっているのが、その歌や歌集にふさわしいペンで1首を書き写すということだ。

ふさわしいペンを選ぶのはけっこう至難の技で、手帳に何度も試し書きをしては「このペンだと強すぎるな…」「色味が合ってないな…」というオーディションをやっている。

(そのためわたしのペンケースにはありえないくらいすてきな色のペンがたくさん入っていて、正式な書類を書くのには一切役に立たない。)

 

さて、このたび青松輝『4』に最適なペンが、厳正なる審査(審査員・紺野藍1名)の結果、以下のように決定したのでそれを発表したい。

そのペンとは…

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パイロット ジュースアップ04 メタリックカラー/メタリックブルー・シルバー(各220円)

です!おめでとうございます。

公式からのコメントによると、こちらのジュースアップは、

新感覚の濃くやわらかな書き味が生み出すワンランクアップのカラフル激細ゲルインキボールペン。

(出典:パイロット公式ページジュース アップ | 製品情報 | PILOT

だそうで、書きごこちはなんかキモいくらいすごい安定感があって良い。

ただ、今回『4』にふさわしいとの判断になった最大のポイントはインクの色だ。

これはメタリックカラーと銘打っているとおり、とても綺麗に、そして複雑に(これが重要)光る。

 

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外からの光をうけて、インクの中のいろんな色が混ざり合って反射して、インクそのものが光りだす。

手帳に書いては光にかざし、うっとりしてしまう。

 

『4』を最初に読んだときにいちばん思ったのは、光だ、でも自然光じゃなくて、都会の、多くの色が混ざって、白くなって、それが強い光だ、ということだった。

このペンが持つ何色!とひとことで言えないような光り方(写真じゃ伝わらないかもしれないけれど)は、まさにぴったりだ。

歌によってシルバーのほうがしっくりくるものもあれば、メタリックブルー(というかこの装丁だったらこの色は外せないな、とも思う)がよい歌もある。

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愛のWAVE 光のFAKE どうしよう、とりあえず、生きていてもらってもいいですか?

人間は死ぬということが共通理解としてあって、だから許すことも諦めることもできるんだろう。もしわたしが不死だったら、きみはわたしを好きだっただろうか、みたいなことを最近はよく考える。

夜の白い光は密度が高く、ぼんやりと街全体を照らして、綺麗だって思ったのはぜんぶ本当のこと、だと思う。

『多脚』を読みました

 

『多脚』を読んでいたらいっしょに住んでいる黒いねこがそばにやってきて、「すごく素敵なみための本!」と言った。

黒ねこの言うとおり、『多脚』は真四角で、表紙の『多脚』の文字は魚の濡れたうろこみたいに光って、小口は蛍光オレンジのイカした本だ(中身ももちろんイカしてる!)。

電線がたくさんみえるベランダで乗り出すようにたばこを吸った/『本は郵送で返しなさい』工藤吹

遠景、距離の遠さ、観察者である主体、などのイメージを連作全体から受け取った。温度はけして高くはないけど、見つめる先の風景に対する思いはある感じ。その中でもこの一首は、これまでは遠景だった外の世界に主体の方から接近しているように感じて、特に好きだった。

「乗り出すように」と言ったとき、徹底的に観察者をしていた主体の体全体が、そのフォルムが、想像されるというか。なんか幽体離脱感があるところがおもしろかった。「電線がたくさんみえるベランダで」までは魂は主体の中にありそうに思うんだけれど。

「乗り出すようにたばこを吸った」って、風景に乗っかってくるいい感じの雰囲気ごと吸い込んでそうでよかった。いいたばこの吸い方。

 

全体主義の気持ちの良さを想像する わたしは明晰夢をみたことがない/『あじさい』鈴木ちはね

論理が、感情が、学習が、経験があるせいで自動的に(強制的に)思ってしまうこと(思わされてしまうこと)ってあるっていうことを考えた連作。

全体主義」と聞いてまずわたしが想像するのは第二次大戦で、それはつまり世界史の教科書だ。全体主義のなかで行われた許されないことの数々があって、わたしはそれを読んで、全体主義ってこわいなと思う、思うんだけど、それが行われていたってことは、全体主義って絶対的に気持ちの良いものなんだ、とも思う。この歌を読んでなおさら思う。「全体主義」の部分から「気持ちの良さ」を抽出したのが本当によいなと思った。だってそれは「全体主義」の核なんじゃないかなと思ったから。

「わたしは明晰夢をみたことがない」の部分を読んで、勝手に安心してしまった。明晰夢をみたことがある場合、この主体が想像する「全体主義の気持ちの良さ」がほんとうっぽさに近づく感覚がしたので。

 

この部屋で一話だけ見てそれきりの、これから話題になる秋アニメ/『海辺のマンション三階建て』𠮷田恭大

主体の世界の把握の仕方がちらちらと見えて、それがうれしかった連作。サブウェイの昼性とか、犬猫映画の邦画っぽさとか。

中でも引いたのは時制の把握がねじれてておもしろかった歌だ。

「この部屋で一話だけ見てそれきりの、」の時点で一話を見たのは過去のことだと思う。すくなくとも見終わっているのはたしかだ。

でも話題になるのは「これから」。未来のことだ。一話だけで話題になるのがわかったのだろうか、そういう予感がしたのだろうか。断言する感じ、決まった未来を感知してるみたいなのもおもしろい。どんな秋アニメの一話だったんだろう。

 

f:id:mizuir0nosekai:20221208230236j:image2022年にいちばんYouTubeでみてたのはINTERNET OVER DOSEのMVだった

 

東京の一人暮らしはむずかしい 十九で買わされた浄水器/『豚を思えば』八重樫拓也

「東京の一人暮らし」のリアルなしんどさ、そのしんどさの質感がすごくよいなと思った連作。

この歌は連作の一首目。「むずかしい」という主観的な感想に説得力を持たせる「浄水器」という道具立てのすごさ。

浄水器」って水をきれいにする機械で、なんか生活に余裕があってこそ買うものという感じがする。それを何かや誰かに強いられて「買わされた」って、どんなしんどい背景があったんだろう。一気に「むずかしい」の解像度があがって、主体と近い気持ちで「むずかしい」を思えるようになる。他にも、「十二時間眠った後のはてしない小便にこそ虹は架かれよ/同」の静かだけど本気の、願望の、ほんとうっぽさに、ぎゅんと引っ張られた。

 

最初の気持ちをずっと思い出したいと思うけどいたずら天使かはわからない/『その先に白銀』雨月茄子春

言い方がかっこいい!とまず思った連作。「喉は目覚めたて 完璧すぎる毎日を脅かすのはニュースなテレビジョン/同」の「ニュースなテレビジョン」!とか。

引いた歌は「いたずら天使」!となった。「いたずら天使」ってなんだろう。

「ずっと」の位置がよくて、「最初の気持ち」を思う瞬間がずっとだといい、というふうに解釈した。「思い出す」って一回性の強い現象というか、瞬間的なものなんだけど、それに長い時間にかかる「ずっと」がかかるとなんかおもしろい。思い出すことって気持ちいいし、(最初の気持ちを勝手にうれしい気持ちだとわたしは解釈しているけど)うれしいし、たしかにずっとあってほしい。「思い出したいと思う」の入れ子っぽいかたちも律儀でたのしい。

「いたずら天使」ってなんだろう。「最初の気持ち」が「いたずら天使」?

 

泡雪がなんなんだろうアーケードゲームの画面の中で降ってて/『知らないつもり』岡本セキユ

まぼろしっぽい浮遊感が気持ちよかった連作。実物も詠み込まれているし、手触りはあるんだけど、未遂みたいなぼんやり感が全体的にあって好きだと思う。

アーケードゲームの画面」ってもちろんプログラムがあって、自然に「泡雪」が降ってくる訳じゃない。誰かがこの画面に降らせるのは「泡雪」がいい!と決めて降らせているわけで、雨じゃなくて霰じゃなくて「泡雪」が降るにはなんらかの理由があるはずだ。でも画面を眺めている主体にはその意味は隠されていて、泡雪がなにを示しているのかは掴みきれない。

「泡雪」のやわらかくてふわふわするイメージ、それが画面上で動いているイメージが「なんなんだろう」というぼんやりとした疑問の感じが合わさっていていいなと思った。

すべてのことに意味ってあるのかな。ほんとうに?

 

f:id:mizuir0nosekai:20221208230731j:image温泉旅館のゲーセンにあった競馬ゲーム すごくむずかしかった

 

秋桜摘んだ茎から感電するのが分からない? いま手を握ってくれたら分かる/『いる』小山鶴

世界とルールを自分の目で捉え直すこと、閉鎖性、天界への視線……ということを思いながら読んだ連作。

秋桜」って偶然摘むことがなさそうというか、「秋桜」だと思って意識的に摘むんじゃないかなと思う。あまりにも秋の象徴すぎるし、色もたくさんあるし、お花界で強い花だと思うから。で、(意識的に)それを摘んで、「感電する」のを主体はわかる。この「感電」は「秋桜」をわさわざ摘む特別さを引きつけると納得がいくし、花とはいえ命を奪っている訳だから、「感電」くらいするだろう。その感覚を「あなた」(この前に「あなた」とある歌があったり、後にも呼びかけがある歌があったり、会話しているような歌があるので、ふたりめの人間は「あなた」だと思うことにする)はわからない。

「手を握ってくれたら」、という表現があくまで手を握るかどうかの判断は相手に委ねている感じが出ていて、繊細でよいなと思った。

 

崇拝をしたことがある。あらゆる音楽にこの頃は涙が流れない/『どこでもないところはもうどこにもないのだろうか』夜夜中さりとて

かつて絶対に手の中にあったものが遠のいていくことを自覚していく連作だと思って読んだ。そしてそのものにはもう永遠に辿り着けないような感じがする。

「崇拝」ってすごく強い言葉だ。でも、「崇拝」している真っ最中のひとは「自分はいま崇拝している!」と気づかなさそう(というか崇拝でそれどころじゃなさそう)なので、「崇拝」と言ってしまえること自体に、「崇拝」していたものの対象との現在の距離が感じられる。崇拝って経験の側面も強いのかもしれない。

「あらゆる」がおもしろくて、それはもうサブスク上などのあらゆる音楽のことなんだろう。あまりにも広すぎる。その音楽ひとつひとつに感動して涙まで流していたんだとしたら、崇拝状態ってほんとうに凄まじいことだと思う。この歌は崇拝から覚めた目線で書かれているのに、かえって崇拝しているときのことを教えられてる気持ちになる。

連作のテーマから、この主体はもう崇拝することはないんだろうと思ったけれど。

 

遠くから泳いできたんだろうその髪、その顔、音楽、抱きしめたさは/『ラ鉄砲』城戸

主体の言葉遊び的な発想と、妄想力によって目の前の世界がおもしろく(RPGっぽいおもしろさに近い)見えてくるたのしい連作だと思った。

引いた歌は根拠の提示の仕方がねじれていておもしろい。

「遠くから泳いできたんだろう」と主体が誰かを見て推測をするんだけれど、途中から様子がおかしくなる。「顔」までは一般的に、人が判断をする要素だと思う。でも、「音楽」「抱きしめたさ」と続くのだ。

もちろん日常で勝手に「音楽」は流れない。わたしが楽しいときに楽しいBGMは流れない。でもこの歌では「音楽」が流れていて、一瞬、主体が観ている映画のことかなと思う。

ただ「抱きしめたさ」が直後にきて、やっぱり実景として読みたいなと思う。位置的にも、「抱きしめたさ」は根拠としての効力が強いものだ。そして「抱きしめたさ」といったとき、抱きしめたい対象に触れられる状態の方が(わたしは)うれしい。この「抱きしめたさ」のために、映画じゃないかも?と感じた。

だからやっぱり「音楽」は不思議なんだけど、連作に通底する主体の世界観と照らし合わせると、日常の出来事に合わせて音楽が鳴り出すと考えてもたのしいなと思った。

 

終わり