現代短歌社のアンソロジー企画に参加し、40人のうちの1人として選ばれて、わたしの作品が載ると決まってから、ずっと何かを言わなければいけないって思っていた。
何を言って何をすれば責任を果たしていることになるんだろう。そんなことをいつもいろんな場面で思うけれど、今回はこの企画に対する紺野藍の考え(言い訳ではなく)を書くことで、責任を果たしたいという意志を表現できれば、と思う。
(夜の公園が好きになったきっかけを明確に覚えている)
わたしは前回のアンソロジー企画に呼ばれなかった。そのことに対して、ほんとうはずっと悔しい気持ちがあった。
「歌人」として生きていくには、常に何かから選ばれなければいけないと(強迫観念のように)思っているし、その考えは今も変わっていない。わたしから見える歌壇は、そういう世界に見えている。
そして「歌人」のいる歌壇の世界にわたしは参加できないのかもしれない、と強く思ったのが2023年だった。
(もちろん歌壇以外の世界がちゃんとあるのを知っている。)
2023年度の新人賞はだめだった。同世代から何冊もすてきな歌集が出て、わたしは歌集を出したいから、そのぜんぶが悔しくて羨ましかった。わたし以外がすごく光って見えた。そしてわたしには歌集は出せないのかなとも思った。
2023年の最後の月、12月になって、今回の企画に対するステートメントが発表された。
それを見て、ほんとうは少しだけ躊躇した。
わたしは心から、ちゃんと、短歌のことを仕事にしたいのか。そのことに対する責任を背負い続けられるのか。すごく考えた。
考えた末に、12月24日、〆切日のギリギリになって、公募枠に応募して、今回の機会をいただくことになった。
どんな見られ方をするのだろうと思う。わたしの作品も、わたしの小文も、公募でこの企画に参加したという背景も、読者からどう見られるんだろう。うれしくて、でも怖いことでもある。
でも、もうどんな機会も逃したくない。それだけわたしは紺野藍に対して焦っているし、なにがなんでも、という気持ちがある。
わたしはわたしの短歌を、言葉をぜんぶ背負って、ここではないところに行きたいから。
すごくすごく、心をすり減らして選んだ10首連作です。小文も含めて読んでもらえるとうれしいです。
わたしの覚悟を見てください。
殴るみたいな風 見逃してあげる いつも本当のことを成し遂げる
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